那珂郡(なかぐん、なかのこおり)は、7世紀から1896年まで武蔵国・埼玉県にあった郡である。
郡域
現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
- 本庄市(児玉町秋山、児玉町小平)
- 児玉郡美里町(大字広木、駒衣、中里、古郡、甘粕、木部、白石、猪俣、円良田)
歴史
7世紀に仲評が置かれた。「无耶志国仲評里中里」から送られたフナについて記した木簡が飛鳥京跡で出土している。「无耶志」は武蔵の古い表記である。この評が大宝元年(701年)に郡に改称した。
郡衙の所在地は、美里町古郡(ふるごおり)と推定される。勤務した官人の居宅と目されるのが、「中」の焼き印や倉庫の鍵などが出土した、付近の北坂(きたさか)遺跡である。
かつては那賀郡とも表記した。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領は木村飛騨守支配所(関東在方掛)が管轄。(11村)
- 慶応4年6月17日(1868年8月5日) – 関東在方掛の旧岩鼻陣屋に岩鼻県が設置され、幕府領・旗本領を管轄。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が前橋県となる。
- 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が入間県の管轄となる。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併して熊谷県となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2期)に改称。当郡域は埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての那珂郡が発足。児玉郡本庄宿に設置された児玉郡役所が管轄。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の村が発足。特記以外は全域が現・児玉郡美里町。(3村)
- 秋平村 ← 秋山村、小平村(現・本庄市)
- 松久村 ← 広木村、駒衣村、中里村、古郡村、甘粕村、木部村
- 大沢村 ← 白石郷、猪俣村、円良田村
- 1896年(明治29年)4月1日 - 児玉郡・賀美郡・那珂郡の区域をもって、改めて児玉郡が発足。同日那珂郡廃止。
行政
- 児玉・加美・那珂郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 11 埼玉県、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(県史11)、山川出版社、1994年。
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 那珂郡 (曖昧さ回避)




