松平 明矩(まつだいら あきのり)は、江戸時代中期の大名。陸奥国白河新田藩主、陸奥白河藩主、播磨国姫路藩主。官位は従四位下・大和守、侍従。結城松平家4代。
生涯
正徳3年(1713年)、陸奥白河藩支藩の白河新田藩主・松平知清の長男として誕生した。母は側室の本多氏。
享保6年(1721年)の父の死に伴い新田藩主となるが、本家白河藩に子がいないため、享保12年(1727年)に伯父にあたる松平基知の養子となり、享保14年(1729年)閏9月2日、白河藩を相続する。知清または基知から偏諱を授かってこの頃までは義知(よしちか、初名)と名乗っていたが、基知の死後にその1字を憚ったのか、のちに諱を明矩に改めている。寛保元年(1741年)11月1日、姫路に国替となった。
延享2年(1745年)、9代将軍・徳川家重が将軍に就くと、直後に来日した朝鮮通信使の接待役を命じられたが、費用がないため藩領に臨時の御用金を課した結果、大一揆が発生し、その最中の寛延元年(1748年)に36歳で死去した。
家督は幼少の長男・朝矩が継いだ。
官歴
- 享保10年(1725年):従五位下・相模守、兵庫頭
- 享保12年(1727年):土佐守
- 享保14年(1729年):従四位下・大和守
- 元文元年(1736年):侍従
系譜
- 父:松平知清(1682年 - 1721年)
- 母:本多氏(側室)
- 養父:松平基知(1679年 - 1729年)
- 正室:幸姫 - 小笠原忠基の娘
- 側室:成田氏
- 長男:松平朝矩(1738年 - 1768年)
- 女子:常 - 松平宗衍正室
- 室:田畑氏
- 三男:由良貞通(1741年 - 1810年) - 由良貞整の婿養子
- 男子:松平矩道
- 女子:綾姫 - 津軽信寧正室
- 女子:盈子 - 秋月種茂正室
墓所
明矩の墓所は姫路城の南西の景福寺山にある。




